タイプ別・子どもの見方・考え方
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タイプ別・子どもの見方、考え方
●あなたのお子さんをタイプ別に分類し、育て方のポイントをまとめてみました。
●子どもの問題を、アイウエオ順に配列。辞書をひくように、
あなたの子どもの問題点と、対処のし方を知っていただけます。

(本文より)

●赤ちゃんがえり

愛情は落差の問題

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。(赤ちゃんがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのをプラス型ということができる。)本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教しても意味がない。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがっています。どうして上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィフティ(50%50%)だから文句はないということになるが、上の子どもにしてみれば、その「50%」というのが不満なのだ。つまり下の子どもが生まれるまでは、100%だった親の愛情が、50%に減ったことが問題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」ではなく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよい。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあなたに言ったとしたら、あなたはそれに納得するだろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させないように、上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれてくるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをする。「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれたというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじらないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、@様子があまりひどいようであれば、以前と同じように、もう一度100%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を減らしていく。A症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(50%50%)を貫き、そのつど、上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い食生活にこころがける。



(補足)
赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子どもの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。

 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型がない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。あるいは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子ども(年中男児)もいた。

 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどいばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおすというのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子どもに移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対処すること。年齢的には満四〜五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることはあるが……。)

 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」というが、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまでする。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。
 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。



【子どもの嫉妬】

嫉妬はこころをゆがめる

 嫉妬心と闘争心。これら二つの感情は、おそらく人間がきわめて下等な生物であったときからもっていた原始的な感情ではないか。この二つをいじると、子どもの心はゆがむ。とくに嫉妬心は、人間をして、えてして常識ハズレの行動へとかりたてる。

 たとえばいじめ。陰湿ないじめが、長期間にわたって続くときは、この嫉妬を疑ってみる。いろいろなケースがある。K子さん(小四)は、学校で、陰湿なもの隠しに苦しんでした。かばんや上履きなどは言うにおよばず、教科書やノート、運動着さらには通知表まで隠された。そのためK子さんと母親は、転校まで考えていた。が、ひょんなことから、その犯人(こういう言い方は好きではないが……)がわかった。そのもの隠しをしていたのは、そのK子さんの一番の親友と思われていた子どもだった。その子どもは、いつもK子さんの心配をしながら、最後の最後までいっしょになくなったものをさがしてくれていたという。

 K子さんは背も高く、頭もよかった。学校でもたいへん目立つ子どもだった。一方、そのもの隠しをしていた子どもは、背も低く、器量も悪かった。そんなところにその子どもが嫉妬する理由があったのかもしれない。

 またこんなことも。Oさん(中2女子)も、同じようにもの隠しに悩んでいた。私に相談があったので、私はその母親にこう聞いた。「Oさんの一番そばにして、親友と思われる子どもはだれですか?」と。する母親はこう言った。「そう言えば、毎朝、娘を迎えにきてくれる子がいます」と。私はその子どもをまず疑ってみるべきだと話したあと、母親にこう言った。「明日その子が迎えにきたら、その子の目をしっかりと見て、『おばさんは何でも知っていますからね』とだけ言いなさい」と。その母親は翌日、私が言ったとおりにしたが、その日を境に、Oさんのまわりでのもの隠しは、ピタリとなくなった。

 つぎに闘争心だが、いわゆる動物的な、かつ攻撃的な闘争心は、幼児期はできるだけ避ける。幼児期は「静かな心」づくりを大切にする。この時期に一度、攻撃的な闘争心(興奮状態になって、見境なく相手を暴力で攻撃するという闘争心)が身につくと、それをなおすのは容易ではない。スポーツの世界では、こうした闘争心がもてはやされることもある。たとえばサッカーなどでも、能力というよりも、攻撃心の強い子どもほど、よい成績をあげたりする。ある程度の攻撃心は、子どもを伸ばすのに必要だが、幼児期にはそれにも限度があるのでは……? もっともこれ以上のことは、親自身の判断と方針に任せるしかない。それがよいと思う人は、そうすればよいし、それが悪いと思う人は、やめればよい。あくまでも参考意見の一つと考えてほしい。




【補記】06−2月4日

【赤ちゃん返り】

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赤ちゃん返りを決して、安易に
考えてはいけない。

赤ちゃん返りは、子どもの心を
本能的な部分で、ゆがめる。

あるいは、さまざまな情緒障害の
引き金を引くきっかけともなる。

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●ゆがんだ心

 赤ちゃん返りと呼ばれる、よく知られた現象が、子どもの世界には、ある。ところが、である。いろいろな心理学の本を見ても、この「赤ちゃん返り」について書いた本が、ほとんどない。(私は読んだことがない。)

 これほどまでに重要な現象について、それについて書いた本がないというのは、どういうことか。だいたいにおいて、文字すら、定まっていない。「赤ちゃん返り」なのか、それとも「赤ちゃん帰り」なのか。

 私は、一度、子どもが大きくなって、また赤ちゃんの心理状態に戻るという意味で、「返り」という文字を使っている。「返り咲き」の「返り」である。が、中には、「返り咲き」を、「帰り咲き」と書く人もいる。

 となると、「赤ちゃん還り」でも、「赤ちゃん回り」でもよいことになる。しかし私はやはり、「赤ちゃん返り」が正しいと思う。現象的に考えると、そうなる。

 その赤ちゃん返りについて、昨日、「なおりますか?」と聞いてきた母親がいた。しかしこうした、つまり一度ゆがんだ心は、なおらない。そのまま一生、つづく。ただ、表面的には、わからなくなる。そこで私は、「もぐる」という言葉を使う。

 こういう例が、ある。

●もぐる子どもの心

 下の子どもが生まれたことで、情緒が不安定になってしまった女の子(年中児)がいた。心の緊張感が、取れなくなってしまった状態と考えるほうが正しい。このタイプの子どもの心は、いつもある種の緊張状態にある。親に対して絶対的な安心感を覚えることができない。そのため、心が休まることがない。そこへ心配ごとや不安ごとが入ると、それを解消しようと、一気に情緒が不安定になる。

 で、その女の子のばあい、たとえば幼稚園へ出かけるとき、あるいは、おけいこ塾へでかけるとき、決まってぐずったり、泣いたりした。が、一度、出かけてしまえば、ケロッとして、あとは何ごともなかったかのようにすませてしまう。

 そういう姿を見て、その母親も、「二重人格者みたいです。なおるでしょうか?」と。

 そこでその女の子の幼稚園での様子を見ると、ごくふつうの、何も問題のない子どもに見えた。その女の子が、家庭で、赤ちゃん返りを起こしているなどということは、幼稚園の保育士にも、わからないだろう。

 が、この段階で、だれも、その女の子の赤ちゃん返りが(なおった)とは、思わない。その女の子のもう1つの心は、別のところにある。あって、顔を出さないだけである。だから、(もぐる)という言葉を、私は使う。

 こうした例は、多い。たとえば、いじけやすい子ども、くじけやすい子ども、ひがみやすい子ども、ねたみやすい子ども、すねやすい子どもなどがいる。そういう子どもでも、環境さえそうでなければ、そういった症状は出てこない。時と場合に応じて、そういった症状が外に出てくる。

●程度と症状はさまざま

 赤ちゃん返りも同じように考える。もっとも、その症状には、個人差と、程度の差がある。さらに症状も、(1)ネチネチと赤ちゃんぽくなる退行型、(2)下の子に攻撃的になる攻撃型、(3)服従的になる服従型、(4)ベタベタと甘えたりする依存型、(5)ものの考え方が破滅的になる破滅型などに分類される。

 また同じ赤ちゃんぽくなる退行型にしても、しぐさや動作、ものの言い方まで赤ちゃんぽくなる子どももいれば、ただその時々において、グズグズするだけの子どももいる。またいろいろなタイプが複合することも珍しくない。退行型に依存型が加わるケースは、よく観察される。だからどの程度から赤ちゃん返りといい、またいわないかという判断は、むずかしい。

 さらにこの赤ちゃん返りが、そののち、さまざまな情緒障害(自閉傾向、かん黙症など)の引き金を引くことになることもある。下の子が生まれたあと、心(情意)と表情が、遊離してしまった子ども(年中・女児)もいた。その母親は、「外見からは、何を考えているか、さっぱりわかりません」と心配していた。何があっても、いつもニタニタというか、ニヤニヤと、意味のわからない笑みを浮かべていたからである。

 原因は、本能的な嫉妬心である。

●本能に根ざした嫉妬心

 ここで「本能的」というのは、本人には意識できない、さらに奥深いところで起こる現象という意味である。だからそういう子どもを叱ったり、説教しても、意味がない。たとえば生後まもない赤ちゃんは、エンゼル・スマイルに代表されるように、(かわいさ)を親にアピールすることによって、自分の生存をはかろうとする。

 つまりそれは赤ちゃんの意識的な行為というよりは、遺伝子そのものに組みこまれた。本能的な行為と考えるとわかりやすい。もしこの段階で、親から見捨てられたら、子どもは生きていくことができない。つまり、人類は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 親から見て、かわいいから、親は子育てをする。そうでなければそうでない。

 下の子に、親の愛情を奪われたという危機感をいだいた子どもは、その(かわいさ)を、再現することによって、もう一度、親の愛情を、すべて自分に取りもどそうとする。それが赤ちゃん返りである。

 そのことは、赤ちゃん返りを起こしている子どもを見れば、わかる。

●NSさんのケース

 印象に残っている女の子に、NSさん(当時、年長児)がいた。そのNSさんは、教室でも、片時も、母親から離れようとしなかった。母親のそばにいて、体をクネクネとくねらせながら、ネチネチと甘えていた。

 「ウママア(ママ)、オウチイエ(おうちへ)、カイエリタイ〜(帰りたい)」と。

 それを見て母親はNSさんを強く叱ったりしたのだが、叱れば叱るほど、逆効果。NSさんの症状は、ますますひどくなっていった。「おもらしは、毎晩のようにします」「月に、1、2度は、原因不明の熱を出します」と、母親は言った。

 意識の世界で、自分の体温をコントロールすることはできない。だから私は、本能に近い、無意識の世界によって、彼女はコントロールされていると判断した。ここで「本能的」というのは、そういう意味である。

 そのため対処のし方も、症状の内容と程度に応じて、ちがう。症状が軽ければ、そのまま一過性のものとして終わる。しかし重ければ、もう一度、100%の愛情を上の子に注ぎなおすところから始める。親は、「上の子も下の子も平等です」と言うが、その「平等」が、上の子には、不満なのだ。

 あとは1年単位で、様子をみる。この問題には、本能的な嫉妬心がからんでいるだけに、容易には、なおらない。指導する側からすると、赤ちゃん返りを決して、安易に考えてはいけないということになる。

●なおそうと思わないこと

 さて、冒頭で相談してきた母親だが、「なおりますか?」と聞いた。私は、「なおらない」と答えた。「なおそうと思わないことです」とも。しかしここで2つのことが言える。

 1つは、もぐったまま、そのままわからなくなってしまうということはある。とくに赤ちゃん返りは、その時期特有の症状であり、その子どもが年齢的に成長し、自分を包む世界が変わってくれば、下の子をそれほど意識しなくなる。そのため赤ちゃん返りという、あの特有の症状は、外からはわからなくなる。

 もう1つは、こうした(心のゆがみ)は、別の形に姿を変えやすいということ。たとえばよく「上の子どもは、下の子どもにくらべてケチ」と言われる。生活態度が、防衛的になるために、そうなると考えるとわかりやすい。

 さらに上の子は、いじけやすくなったり、くじけやすくなったり、ひがみやすくなったり、ねたみやすくなったり、すねやすくなったりすることはある。そういう(心のゆがみ)に変化することはある。

 ただここで誤解してはいけないのは、こうした(心のゆがみ)というのは、だれにでもあるということ。多かれ少なかれ、だれでにでも、ある。私も、あなたも、だ。だからそういう(ゆがみ)があるからといって、大げさに考えてはいけない。そういう(ゆがみ)を克服しながら生きていくのが、人間ということにもなる。

 が、本来なら、そうならないように、下の子を妊娠したときから、上の子教育を始めるのがよい。「ある日、突然、下の子が生まれた」というような状況をつくると、まずい。それがわからなければ、あなたの夫が、ある日突然、愛人を家の中に招き入れたようなケースを想像してみればよい。

 あなたは、果たして平静でいられるだろうか。あるいは夫が、「お前は愛人と、平等にかわいがってやっている」と言っても、あなたはそれに納得するだろうか。下の子が生まれたときの、上の子の心理は、それに近い。

 こうして考えていくと、もうおわかりかと思うが、「嫉妬」には、悪魔的な力がある。赤ちゃん返りがこじれて攻撃的になると、上の子は、下の子を、殺す、あるいは殺す寸前までのことをする。それほどまでに、上の子の心をゆがめることもある。

 重ねて言うが、赤ちゃん返りを、決して安易に考えてはいけない。

★つづきは、本文で

(目次・一部抜粋)
ア行
カ行
サ行
赤ちゃんがえり
赤ちゃん言葉
悪筆
アスペルガー
頭のいい子ども
頭をよくする
あと片づけ
家出
いじめ
依存と愛着
育児ノイローゼ
一芸論
ウソ
内弁慶
右脳教育
エディプス・コンプレックス
おてんばな子
おねしょ(夜尿症)
おむつ(高層住宅)
親意識
親の愛
親離れ
音読と黙読

学習机
学力
学歴信仰
学校恐怖症
家庭教師
家庭内暴力(子どもの暴力)
過保護
過剰行動
考える子ども
がんこな子ども
緩慢行動
かん黙児
気うつ症の子ども
気負い
帰宅拒否
気難しい子
虐待
キレる子ども キレる子ども(2)
虚言(ウソ)
恐怖症
金銭感覚
計算力
ゲーム
ケチな子ども
行為障害
心を開かない子ども
個性
こづかい
言葉能力、読解力
子どもの心
子離れ
才能とこだわり
自慰
自意識
自己嫌悪
自殺
自然教育
自尊心
叱り方
しつけ
自閉症
受験ノイローゼ
小食
心的外傷後ストレス障害
情緒不安
自立心
集中力
就眠のしつけ
神経質な子ども
神経症
スキンシップ
巣立ち
すなおな子ども
性教育
性同一性障害
先生とのトラブル
善悪
祖父母との同居

本文を読む……

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