子育てワン・ポイント
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子育てワン・ポイント
●子育てのコツを、ポイント的にまとめました。計600作あります。
●1993年に発表した「子育て格言・ママ100賢」のバージョンアップ版です。

(本文より……)

●あと片づけとあと始末(1)

 あと片づけとあと始末は、基本的に違う。たとえば「部屋に散らかったものを片づける」は、あと片づけ。「使った食器をシンクへもっていき、そこで食器を洗い、ナプキンでふく」は、あと始末。日本人はあと片づけには、うるさいが、あと始末には甘い。これは日本人の国民性のようなもの。日本人は何かにつけて、責任の所在をはっきりさせるよりも、ものごとをナーナーですまそうとする。

 オーストラリア人の子育てをみても、彼らはあと片づけには、それほどうるさくない。子ども部屋だと、散らかっているのが当たり前という状態。しかしあと始末にはうるさい。冷蔵庫から出したものを、テーブルの上に置いておこうものなら、子どもたちは親にひどく叱られる。そうそう以前、こんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「ヒロシ、日本の子どもたちは、皆、スポイルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息子化している」という意味だ。そこで私が「君はどんなところを見てそう言うのか」と聞くと、こう話してくれた。

 彼はときどき日本の子どもたち(英会話教室の生徒)を、自宅にホームステイさせているのだが、それについて、「食事の前に料理を手伝わない」「食後も食器を洗わない」「シャワーを浴びても、アワを流さない」「朝起きても、ベッドをなおさない」「……何もしないのだよ」と。

 あと片づけをうるさく言い過ぎると、かえって子どもにとっては居心地の悪い世界になってしまう。アメリカの作家のソローも、こう言っている。「ビロードのクッションの上に座るよりも、カボチャンの頭に座るほうが、休まる」と。しかしあと始末は別。子どもにはどんどんとあと始末をさせる。そういう習慣が、責任感の強い子どもをつくる。




●子どもの横を歩く(2)

 親には三つの役目がある。一つ目に子どもの前を歩く。子どものガイドとして。二つ目に、子どものうしろを歩く。子どもの保護者として。そして三つ目に、子どもの横を歩く。子どもの友として。昔、オーストラリアの友人が話してくれたことだ。

 日本人の子育てをみると、このうち一つ目と二つ目については問題はない。が、三つ目が弱い。自分の子どもを「友」としてとらえていえる人は、少ない。あるいはそう感じていても、一方で昔からの「親意識(権威意識)」が強いため、どうしても子どもを「下」に見てしまう。そこでテスト。

 あなたの子どもがあなたに向かって、「バカヤロー」と怒鳴ったとする。そのとき、あなたは、

@「『親に向かって、何だ!』と子どもを叱る。そういうことを言うのは許さない」
A「子どものことだから口が悪いのは当たり前。相手にしない」の、どちらだろうか。

親意識の強い人ほど、@のように感ずるし、そうでない人ほど、Aのように感ずる。もちろんその中間もある。またこう書いたからといって、子どもが親に「バカヤロー」と言うのを容認せよということでもない。むしろ問題は、子どもがそういうことを言えないほどまでに、親の親意識で子どもを抑え込んでしまうこと。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、子どもの心はあなたから離れる。

 子どもと「友」になるということは、子どもの言いなりになれということではない。子どもを甘や
かせということでもない。子どもの「友」になるということは、子どもを「下」に見るのではなく、対等の人間としてみるということ。たとえばアメリカでは、親子でもこんな会話をしている。父「お前は、パパに何をしてほしい?」、子「パパは、ぼくに何をしてほしい?」と。こうした謙虚な気持ちが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。 



●家庭教育の誤解(3)

@忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向けさせた
い」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。子ど
もにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末
する、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを忍耐力
のある子どもという。

Aやさしさ……公園でブランコを横取りされたとする。そういうときニッコリと笑いながら、その
ブランコを明け渡すような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がいる。しかしこれも誤
解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問題を起こす。子ども
にとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決まる。

もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。そのやさしい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」「これを買ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜ばすようにしむけるとよい。

Bまじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではない。まじめというのは、自己規範のこと。こんな子ども(小三女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べますから、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「まじめな子ども」という。

Cすなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えている人は
多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、心の状態(情意)と、顔の表情が一致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲しいときには悲しい顔をする、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。子どもにとっては、たいへん望ましくない状態と考えてよい。たとえば自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプの子どもの心は、柔和な表情をしたまま、まったく別のところにある。

Dがまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題とからむときは、がまん
はかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三歳児)がいた。子ど
もは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決めつけて、いつも無理に寝させていた。がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにならないこと。そのためにも 親側に、一本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意味で、子どものがまんの問題は、決して子どもだけの問題ではない。



●子どもに与えるものは、100倍(4)

 子どもの金銭感覚は、幼稚園の年長児から小学2年ぐらいにかけて完成する。「ふえた」「減った」「トクをした」「損をした」など。お金で物欲を満たす、その満たし方まで、この時期に覚えてしまう。そういうわけでこの時期の金銭感覚が狂うと、あとがたいへん。

 そこで、子どもに買い与えるものは、心の中で100倍するとよい。たとえば100円のものは1万円。1000円のものは10万円、と。つまり子どもが100円のものから得る満足感は、おとなが1万円のものから得る満足感と同じということ。1000円のものから得る満足感は、おとなが10万円のものから得る満足感と同じということ。この時期に、1000円や1万円のものをホイホイと買い与えていると、やがて子どもが大きくなり、高校生や大学生になったとき、それこそ10万円のものや、100万円のものを買い与えないと、満足しなくなる。もしあなたにそれだけの財力があれば話は別だが、安易な気持ちで買い与えるようなことは、やめたほうがよい。

 また「より高価なものを買ってあげればあげるほど、深い親の愛のあかし」と考えている人がいる。戦後のあのひもじい時期を過ごした人ほど、この傾向が強い。しかしこれはまったくの誤解。ではどうするか。

 イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、魚釣りに釣れていけ』というのがある。子どもの心をつかみたかったら、子どもにものを買い与えるより、魚釣りに行けという意味だが、これは子育ての基本でもある。多くの親は、「高価なものを買い与えてやったから、子どもは親に感謝しているはず」と考える。しかし実際には、感謝などしていない。「ありがとう」とは言うが、その場だけ。あるいはたいていのばあい、かえって逆効果。

 子どもの場合、不自由やひもじさ、さらには思いどおりにならないことが、子どもの生活力を
養う原動力となる。また子どもの心をとらえるということは、もっと別のこと。そういうことも考え
ながら、子どもの金銭教育を考える。

★つづきは、本文で



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