●尾崎豊の「卒業」論
学校以外に学校はなく、学校以外に道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は「卒業」の中
でこう歌った。「♪…チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきかを考
えていた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは幻想に過ぎない。
現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、ルーザー(負け犬)のレッテル
を張られてしまう。尾崎はそれを「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。
宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢を持て」と。しかし
夢を持てば持ったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許され
ない。
ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけがそこそこの夢をかな
えることができる。大半の子どもはその課程で、もがき、苦しみ、挫折する。
尾崎はこう続ける。「♪放課後ふらつき、おれたちは風の中。孤独、瞳(ひとみ)に浮か
べ、寂しく歩いた」と。
日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精いっぱい、自己主
張しているだけだ。それがダメだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというの
か。
そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よくまじ
めなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの争い」で
もあった。
実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が2億円もあるようなニュースキャスタ
ーが「不況で生活が大変です」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけて
いるテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄付を訴える。こういうのを見せ
つけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。
そこで尾崎はそのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回る…」と。も
ちろん窓ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が
思いつかなかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、だれが「石もて、打て
る」のか。
この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、200万枚を超えた。こ
の数字こそが、現代の教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではない
のか。
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